この道は たゞ勝てばよき 秋の風

2021.11.23

この道は たゞ勝てばよき 秋の風 久保田万太郎

 勝負の世界に生きる人に限らず、人間世界には勝ち負けのようなことがいつも評価の基準にあって、近ごろの流行りで「勝ち組、負け組」と言ったりします。

しかし、この査定は何を根拠にしているのかははっきりしません。


子どもたちの間で流行っている言葉に、「親ガチャ」というのがあるそうです。

ガチャガチャと呼ばれるおみくじのような遊具があって、小銭を入れてレバーを回すと、予(あらかじ)め知り得ない商品が出てくるというもので、人が集まるお店などに据えてあり、主に子どもたちが、何が出るのかワクワクして挑戦するというような遊具です。

つまり、何が出てくるか分からないところが面白味ですが、これをもじって「親ガチャ」と言っているというのは、親の善し悪しで子どもが置かれた環境が相当違うという現実を子どもたちが敏感に感じ取り、それは生まれてみないと分からないことなので、ガチャガチャに似ているというわけです

それは現代社会の多くの国で、親の経済力が査定の基準になっている事実をほのめかしていると言えます。

「いじめ」などの社会問題の背景にはこういうことも関係していると指摘されてもいます。



 久保田万太郎は、小説家であり劇作家が本職で、学生時代からその活動は展開されてきた言わばその道の重鎮といった人物でした。

あまり勝負の世界を生きたという感じでもなさそうですが、「この道」というのが人間世界全般を指して言われているとするなら、「秋の風」と詠んでいるのが、人間観察の果ての深い憂いのような内容をいっているように感じられるわけです。

なぜなら、「勝てばよし」ではなく、「勝てばよき」となっているところで、結局それが人間社会であるとでもいっているようで、その達観の視座が、憂いを含んだ句として味わえるわけです。

 「親ガチャ」という言葉が子どもたちの中で語られるという事は、子どもたちの「憂い」が社会全体を覆っているといえるかもしれません。

つまり、人間社会は見比べ合いの世界であって常になんらかの評価に晒されて行かねばならない現実があって、「おまえんちはいいよなあ金持で…」という声が聞こえてきそうです。

しかし、このような人間社会が抱える現実は今に始まったことではありません。

ある意味、大昔から人間存在に付随してきた問題であると言えると思います。

だからこそ、智慧と慈悲の仏さまの「おはたらき」ということに大きな意義があるのであって、如来のお救い、浄土の因果、平等の慈悲などということは、人間世界、娑婆の論理を離れたところで語られていることではないのです。


憂いがそのまま歓びへと転ぜられていく世界の存在がいつの世も語られ続けなければなりません。






南無阿弥陀仏